リンゴの唄
大崎信久さん
私は定期的に、長期療養と治療のために入院しておられるお年寄りの元を訪ねています。こちらの病院では、午前中は患者さんのおられるお部屋を1つずつまわり、重症部屋を除くすべての方と挨拶を交わして行きます。多くの場合、ここで込み入った話に発展して、興味深いことを耳にしたりします。そして午後からは職員が行うレクレーションのお手伝いをします。季節の行事にお化粧や句会・ゲームなど日替りメニューがいろいろ用意されています。実はこの時間を借りて、月に一度のペースで法話会をさせていただいています。
さて、平成13年12月末、私はある方の過去を垣間見ました。この方とは比較的よい関係ができつつあり、気軽に声を掛け合うようになっていました。その日は週に2度あるカラオケの日でした。特に年末ということで忘年会を兼ねた企画になっていて、カラオケ会場には早々に40名が集まっておられました。あらかじめ用意された歌詞カードに目をやり、鼻歌交じりに手慣れた調子でお好みの曲をリクエスト。そして、それぞれが紅白に別れて自慢の喉を競い合いました。後でリクエストされた理由や歌われた感想をお聞きするのですが、さまざまな人生の経験談を語って下さいます。どの話も興味深くお聞きすることができます。今回はその日に出くわした忘れられない出来事を紹介したいと思います。
歌合戦は始まりました。いつもと同じように軽快にリクエスト曲が流れていきます。歌い上げて満足そうな表情が見て取れます。私も手持ちのハーモニカで、何曲か伴奏を買って出させていただきました。そうして何曲かにぎやかに歌い進んでいると、突然男性が立ち上がり会場を足早に、しかも表情を隠し避けるように自室へ。私は演奏を終えるとすぐに後を追いかけました。彼は自室から冬の冷たい景色を窓越しにずっと見つめているばかり…。
そのとき演奏した曲目は「リンゴの唄」でした。これはだれもが知っている戦後を代表する曲です。この歌に随分と心が暖められたという話を聞くことができます。そのせいか多くの患者さんはより明るく手拍子を打ち、どこか昔をなつかしまれる表情さえ伺えました。それだけに彼の取った行動は印象的だったのです。だから追いかけたのでした。やがて彼はゆっくり語りはじめられました。
―――戦中、南方をさ迷うように転々とし、いつのまにか終戦を迎えていた。戦友は次々と銃弾に倒れ、いやそれ以上に病気で命を落とす。そんな苛酷な環境を何とかくぐり抜け復員した。長崎港発の列車には、乗り切れないほどの人がさらに積み重なるように乗り込んだ。広島、大阪で乗り継ぎようやく帰郷。そして見たものは焦土と化した本土、ではなくて、これまでに聞いたことのない華やかな歌声だった。多くの友人を失い、戦争が終わってもすぐには帰れなかった。しかも負けてどんな顔をして帰ればよいのかと真剣に考えた。「俺はこの戦争で何をしに行ってきたのか! この変わりようはなんだ!」と。言葉にならない、やるせないみじめな気持ちに涙した。そして止まらなかった。それを思い出してしまった。――――これが80歳を越えるこの方の20代の想い出…。
私は、ただ笑顔で歌っておられる患者さんの姿しか知らない。過去の悲しみに気づかず、また苦労も知らずに手拍子をしていました。知らないで当たり前ではありますが、なつかしのメロディーに隠されたさまざまな体験や感情は想像しがたい。それ故に返す言葉を完全に失ってしまった。その時この瞬間、私は僧侶として、いいえ、人間として何ができるのだろうかと真剣に考えました。そしてどのように寄り添うべきだったのかを悩みました。
数日後、彼はマイクを握り、楽しそうに歌っていました。あのリンゴの唄を…。
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